人事評価制度にチャレンジ!(第2回)
人事コンサルタント・社会保険労務士の矢崎哲也による集中連載コラム
人事評価制度を運用していくためには、関わる社員全員がその目的や意義を理解していなければならないと前回書きましたが、それは運用していくのは社員自身だからです。運用の担い手がその目的を理解していなければ、どんな制度もうまく回りません。
それでは人事評価の目的とはいったい何なのでしょうか。教科書を読むと、人事評価には処遇(給与や賞与、昇格・降格など)に格差をつける根拠を明確にする「査定機能」と、育成のための指導ポイントを明確にする「人材育成機能」の二つがあり、この二つの機能を活用して会社の業績向上に貢献することが目的である、と書かれています。
その通りだと思いますが、現実には人事評価に人材育成の機能を期待して導入しようとする会社はきわめて少なく、査定を目的に人事評価を導入したい、というほうが圧倒的多数です。私自身もサラリーマン時代は、人事評価の結果によって昇給やボーナスの額が変動しましたから、人事評価は査定のためにあると信じて疑いませんでしたし、人材育成の機能のほうはほとんど意識していませんでした。
「しっかりとした査定を行いたいので人事評価制度を導入したい」というご要望はもっともなのですが、ひたすら査定だけを目的にするといろいろな不都合に直面することは、人事評価を経験済みの方であれば、感じていらっしゃると思います。
- 評価制度そのものが古くて誰がいつつくったのかわからない
- 評価者が評価項目や評価基準をよく理解していない
- 評価者の主観が入り評価結果に大きな差が出る
- 評価者研修を受けていない評価者がいる
- 目標管理の目標設定がうまくできていない ・・・・・ などなど
これらはいずれも人事評価の「あるある」なのですが、どれを取ってみてもそこで得られた評価結果を昇給やボーナスなどの処遇に反映させることにはかなり無理があることをおわかりいただけると思います。要するに、厳格な査定に使えるほど人事評価制度を精巧な仕組みにすることはとても難しいのです。
にもかかわらず、突っ込みどころ満載の人事評価で処遇に大きな格差を付けている会社もたくさん存在します。昔のように上司が主観に頼って「鉛筆なめなめ」(昭和時代の慣用句です)で査定をするよりはまだまし、という気持ちでやっているのであれば、ちょっと危険かもしれません。
「うちの会社の人事評価制度の内容は合理的なものではなく運用もいい加減、評価者研修も行われていなくて評価者の評価能力にも問題がある。そんな中で自分が低い評価を受け処遇を下げられたのは不当だ」と訴え出る社員が出現したら、御社は抗弁できますか? 人事評価はまさに「諸刃の剣」となる可能性があります。
人事評価の本来の目的は、もう一つの「人材育成機能」にあり、こちらを重視した制度設計や運用を行うべきである、というのが私たちの考え方です。人事評価制度とは、経営理念を理解して実践する人材を育成するためのツールであって、会社が社員に対する期待像を具体的に示し、それにどれだけ近づいているのかを定期的に診断するのが人事評価である、と捉えています。
しかし、決して「人事評価の結果を処遇に反映させるべきではない」と言っているのではありません。会社が示した社員への期待像に近い人(=評価が高い人)は、そうでない人と比較すれば会社への貢献度はより高いと考えるのが自然ですから、その人は昇給額が大きかったりボーナスをたくさんもらったり、早く昇格したりするのは当然と言えます。
人事評価の結果は処遇に反映させるべきなのです。しかし、査定のための人事評価ではなく、人材を育成していくための人事評価の結果を処遇の決定にも活用する、という考え方をとったほうがうまくいきます。その場合に問題となるのは「人事評価の結果をどうやって、どの程度処遇に反映させるべきか」ということです。ここが人事制度全体の設計の中で肝(キモ)の一つになるところです。
次回も、人材育成機能を重視した人事評価について、さらに深めていきたいと思います。